お金にまつわるアフォリズム その1.アダムスミス

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お金にまつわる偉人たちの名言・格言を、マネーゴーランドが独自に新解釈!

その1.アダム・スミス

「われわれが自分たちの食事をとるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるものではなくて、自分の利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは、彼らの博愛的な感情にたいしてではなく、かれらの自愛心(セルフ・ラブ)にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてである」(『国富論』大河内一男監訳)

たとえば、寿司屋における日常的なやりとりのひとつに、こんなものがある。

客  「おやじ、寒ブリ一貫、握っとくれ」
板前 「へい、よろこんで」

 ここで冷静に考えなければいけないのが、板前のおやじが発した「へい、よろこんで」である。確かにおやじは、「へい」と愛想を振りまいて、いかにも従順なように見える。ならば当然、そのあとの「よろこんで」は、おやじの博愛的な感情、つまり「寒ブリを求める人に、あまねく寒ブリを握ることのできる歓び」から発せられた、シュバイツァー精神のたまものであろうと察せられるのだが、「そうではないよ」と、アダム・スミスは言っているのだ。

 スミスは考える。確かにおやじは、「へい」と愛想を振りまいた。しかし、そこで文脈はいったん途切れ、次の「よろこんで」は、完全なるおやじの自愛心(セルフ・ラブ)、つまり「寒ブリを求める人にとことん寒ブリを握って、たくさん稼いで、思う存分キャバクラに通いたい」という、おやじの心の奥底から沸き起こった、魂の叫びにほかならないと。
 スミスの本領はそこから発揮される。人間はそもそも自愛心(セルフ・ラブ)に満ち満ちている。しかし、だからこそ「市場」が成り立っているのだ。結局、我々が生きる近代社会とは、個人の絶えざる私利私欲の追求と、そこから生まれる競争の相互作用、すなわち「市場」のダイナミズムによって統合されているのである。そうしてスミスは、板前のおやじのキャバクラ通いを、「社会的な美徳」として、大らかに容認するのである。

 「そんなこと、言われなくたって、承知しているよ」とは客の弁である。彼ら寿司屋の常連からすれば、「経済学の父」と称される18世紀英国人の声高な主張など、野暮の極みであろう。市場経済のメカニズムなど、彼らはとっくに心得ているのである。試しに寿司屋に行ってみるがいい。冒頭にあげたやりとりのあと、我々は、彼ら常連客が、次のような言葉を、小声でそっと添えるのを、聞き取ることができるだろう。

客  「おやじ、寒ブリ一貫、握っとくれ」
板前 「へい、よろこんで」
客  「おやじ、…よかったな」

 これである。このようにして、我が国は粋の文化を発展させてきたのであり、キャバクラのことなどお首にも出さずに、板前のおやじは寿司を握り、客は寿司をつまむのである。もちろん、この日の寒ブリが、殊のほか脂が乗っていたことは言うまでもない。

アダム・スミス(Adam Smith 1723〜1790)
18世紀イギリスの道徳学者、哲学者、経済学。「経済学の父」と称され、彼の著作「国富論(諸国民の富、正式名称『諸国民の富の性質と原因の研究』)」は、近代経済学の誕生を告げる歴史的な書として名高い。

●このお金レシピの換金レート 6,000円
なお回転寿司は上記の寿司屋に該当しない

参考文献
「国富論」アダム・スミス(中公文庫 大河内一男監訳)
「入門経済史 世俗の思想家たち」ロバート・L・ハイルブローナー(ちくま学芸文庫 八木甫 松原隆一郎 浮田聡 奥井智友之 堀岡治男 訳)

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